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2025年8月19日火曜日

「社会参加準備講座」~チーフスタッフコラム 2025年8月

7月25日に茗荷谷クラブで、「社会参加準備講座」を行いました。
『枠にとらわれない「わくわくワーク」の見つけ方 ~地域若者サポートステーション、(株)みらい人事をお招きして~』です。

茗荷谷クラブは「居場所」であって、就労を目的とはしていません。

昨今、「ひきこもりのゴールは就労ではない」「自立ではなく、自律だ」と国も方針の転換を図っています。

茗荷谷クラブは、実存が不安定な若者がどう主体的に生きていくか、そのプロセスが大事。
ゴールはこの社会での「人とのつながり」や「生きる覚悟」だ、と考えています。

そのプロセスの中で、実際には、多くの方たちは、どうやって生きていくのかを真剣に考え、「働く」ことを求めていきます。
彼らにとって、「働いていない」ことの罪悪感は大きく、そこから解放、自力でお金を稼げる経験ができると、やっていける希望につながります。
なんといっても、現実は、市場経済社会ですから。

ただし、仕事の本質は、他人を楽にさせる活動。その対価にお金を発生させたものがいわゆる「仕事」。日曜大工、家事手伝いやボランティアも立派な「働く」。

大切なのは、彼らが自分で納得して、選んでいくこと。そして、できれば理解してくれる場での模索しながらの働き方、働ける場を、一緒に探したい。「働く場」での生きる経験を積み重ねながら…と思います。

厚生労働省『ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~』(令和7年1月31日)によれば、「自立ではなく、自律だ」と。
「“自律”とは、自分を律するとか、社会に適応することではなく、本人や家族が自分はどう生きていくのかを決めていくことであり、そのプロセスを共有しながら共に考えていくことこそが支援」、「従来の“医療モデル”の支援だけでなく、新たな“社会モデル”の視点を基本とした価値や倫理に基づく支援へと変化させた」
ということになります。

理念を明確にしたことにはとても意味があります。
でも、それだからこそ、いったいそれでは「自律」を目指すって、具体的に何をすればいいのか?があいまいになっている感は拭えません。

理念が当たり前になっていくための具体的な支援の一つとして、働きたいと思っている方たちに向けて、今回新宿サポステの方と(株)「みらい人事」の方にお話を伺いました。
オンラインを含めて、19名の方が参加されました。

わかりやすい具体的な支援のお話がたくさんありました。
一つ、紹介します。みらい人事さん(厚生労働省から委託された民間のハローワーク)から仕事探しのポイントのお話がありました。

「やりたいこと」(興味・関心)「やれること」(能力・資質)「求人」(有無・倍率・ボリューム)の3つの輪が重なったところを冷静に見る。
特に自分の能力・スキルの棚卸は難題。これらは、一人でやらない方がよい。

お話を聞いていて、3つの輪の重なりを見ることはとても難しく、勇気のいるつらい作業だけれど、大切なことは、その方が納得できるまで、どこまでもその方のお話を聴くことなんだよな!時間はかかっても・・・と思いました。

話をキチンと聴いてくれる方がたくさんいること、そのことが心底“信じられる”ということが、実はとても大変なことです。
そんな風にみんながなっていけるように、たくさん話してたくさん遊んで、いっぱい楽しんでいきたい、と改めて思いました。

そして、ソーシャルワークとして社会への働きかける視点も持つ、そのような姿勢で取り組むことの大切さを切に思います。

全然テーマと関係ないですが・・・
500円でこのクオリティ・・・!ガチャすごい!
by井利

チーフスタッフ 井利由利

2025年7月17日木曜日

「自分がわからない」~チーフスタッフコラム 2025年7月

暑い日が続いています。
先日、スタッフミーティングで「自分がわからないってどういうことだろう?」そんな話になりました。
「自分がわからない」を日常に落とし込むと、どういうことになるのか?について話しました。
それを今回書いてみようと思います。

メンバーさんやカウンセリングに来るクライアントさんから、よく聞く言葉に「自分がわからない」「自分がない」という言葉があります。

「相手が何を期待しているのか、どういうことを話して欲しいのかを常に考え、それに合わせていくことばかりを考え、自分の気持ちとか自分の好きなことや、やりたいことを話すことをしてきませんでした。そんなこと思いもしなかったです」。

「ある日ふと、あれ?自分がない!自分ってなんなんだろう!?って思ってすごく怖くなり、これじゃ生きていけない、怖い!と外へ出ることができなくなりました」。

ある日、自分がなくなった感じ…それはどんなに恐ろしく、不安と恐怖で苦しいだろう、想像を絶する恐怖感だと思います。想像するだけで怖くなります。

自分のことがわからないと、社会的規範、いわゆるべき思考、こうすべき、こうあるべき、の指針をどんどん強めていくことになります。
「ひきこもっているうちにどんどんめんどくさいやつになっていった・・・」という言葉。

べき思考が強くなり、でもそれは天井がありません。しかも頭ではわかっていても心がついていかず「できない」ので、よりバラバラな自分、ダメな自分感覚を強めてしまいます。

「やりたいことをやろうとしても、いつの間にかそれがやらなければならないことになってしまって、そうなると、完璧を求め始めるので、負荷に押しつぶされてできなくなるし、完璧にできないので0にしてしまいます。」

私たちには、頭ではわかっているけれど、心がついていかない、心が納得してくれず、「できない」ことが多いです。カウンセリングは、それを自分の言葉にして他者に伝え、客観的に俯瞰し、明確化し、無意識にある潜在的な力をひきだしていくものです。

ですが、カウンセリングよりも、もっと大事なことがあるのではないか・・・。

それは、体を動かして、思いっきり動き、感情が自然に出てしまうほど楽しんで、あるいは、みんなでボードゲームをやりながら、その場で思ったことを思わず口にしてしまう瞬間を楽しむことです。いつの間にか、それこそ、ふと、自分が自分である感覚を取り戻す瞬間があります。
長年カウンセリングを生業にしていますが、実は、その瞬間の積み重ねが最も大事なのではないかと。

子どもたちはより深刻です。コロナで大切な3年間、したいことを我慢させられ、友達と思いっきり遊ぶこともできなかった子どもたち。
今、感情が出ない、本音が出せない、例えば子どもたちにプレイセラピーをしようとしても遊べない子どもたちが増えています。若者たちは、より内閉化し、10代のリストカットやオーバードーズは激増しています。

・・・スタッフミーティングでそんな話になりました。

まずは今の子ども・若者たちの抱えている困難さを知り、遊べる、何をしててもいい居場所がたくさんなければなりません。生きづらさを抱えている方たちにとっての生きやすい社会・地域は、誰にとっても生きやすい社会だからです。

カモよ、君はなぜここに。。。?
なに、おもう。。。?

チーフスタッフ 井利由利

2025年6月13日金曜日

「ボードゲーム」~チーフスタッフコラム 2025年6月

茗荷谷クラブでは、午前中のフリータイム(午後はプログラムタイムです)に、毎回のようにボードゲームやカードゲームをやっています。
どんなゲームをやるか、やらないか、はもちろん自由です。
毎回お部屋に15人くらいの人が集まるので、だいたい3部屋に分かれてゲームをすることが多いです。
もちろん、おしゃべりだけだったり、ギターを弾いたり過ごし方は人それぞれです。

こんなにボードゲームをやっているのに、その魅力について書いたことがなく、今回は挑戦してみます。
その魅力を言葉にするのはとても難しく、メンバーさんのほうがずっと上手だと思うのですが・・。

ゲームは、クラブに50種類以上あります。おおざっぱに括ると、、、

①戦略的に勝負をしていくゲーム
=『カタンの開拓者たち』に代表される戦略的に頭を使って資源を集め、土地を拡大して勝敗を決めるゲームです。
論理的思考が必要で、クラブでは人気のゲーム。うまく交渉しながら、資源を集めます。
「その資源を交換したら、○○さんを勝たせちゃうよ」「えっ?今一番勝ってるの誰?」「やばいけど、ここは自分のことを考えたい」「わかった、じゃ、僕とこれ交換しない?」などの会話がはずみます。

②コミュニケーションしながら、その人の価値観や普段話していないこと、意外なところを知ることができるゲーム
=『アンゲーム』や『ガムトーク』、『サンレンタン』、『ディクシット』など。このジャンルもクラブではとても人気があります。
自己紹介的な要素もあり、コミュケーションが苦手と感じている人も、慣れてくると参加してくれます。
カードのお題について一人がお話しするとそれに関連して自分のことを思わず話して、楽しくなったりします。
『ディクシット』でも、「えー!これ絶対みんなに共感されると思ったのになあ」「わかる、わかる」「どこに注目?なるほどそうかあ。へーすっごいね!」など新たなその人の人柄に触れることができます。

③騙しあい、心理戦ゲーム
=『人狼』や『お邪魔者』に代表されるゲーム。
うそをついて騙したり、うそをついている人を見抜いたりしていくゲームです。
すぐ顔や態度に出てしまう、さらに論理的思考が苦手な私にとってはかなり苦手な部類に入りますが、やるのはとても好きです。
駆け引きのようなやり取りがとても楽しいです。

④協力ゲーム
=『ito』『ジャストワン』『ボブ辞典』などに代表されるゲーム。
みんなで協力して達成感を味わうゲームです。
何とか協力して答えを導き出すことができたときは大きな拍手が起こります。
推理ゲームもみんなで協力しながら推理していくもので、これもとても人気があります。


ゲームはどれも運要素が大きく影響します。
運と、頭を使うことのバランスの塩梅がそのゲームを面白いと感じるかの肝になっていると思います。
頭を使いたくないときは、ただただ運に任せたゲームもいいですね!

ゲームは勝敗を意識しますが、対面で仲間たちとやっていると、勝敗よりもみんなが楽しめるようにゲームを進めようとする利他的な行動がみんなの中に生まれ、増えてきます。
これは、茗荷谷クラブでの実感です。

とにかく、めちゃめちゃ楽しい!


(※茗荷谷クラブに常備しているゲームの一部です)


ボードゲームについて考え、調べていたら、ネットで見つけました。

『2023年11月、〈河出書房新社〉より発売された新書『ボードゲームで社会が変わる 遊戯するケアへ』は、近年の流行についての分析や、往年の名作ゲーム解説を通じて、ボードゲーム体験の「本質」を問う一冊です。「能力至上主義」ともとらえられる現代社会の中で、対面で一緒に遊ぶことがどんな効能をもたらすのか、さまざまな角度から考え「ボードゲームを思想にする」ことを目指して著されました。』

『個々の人生に努力や才覚ではままならない運・不運があることを皆が了解する社会は、すべての成功や勝敗を個人の資質や努力に還元したり、すべての失敗を個人の自己責任に帰したりする態度に歯止めをかける。』(ネットから引用)

すみません!まだ読んでいません。これから読みます。

チーフスタッフ 井利由利

2025年5月15日木曜日

「時間とゆとり」~チーフスタッフコラム 2025年5月

新緑の季節となり、外の空気は気持ちがよく、とてもいい季節となりました。
でも、頭の中にあるのは「今のうち外へ出ておかないと、夏になったら暑くて大変なことになる…今のうち、今のうち・・・」となぜか焦っているのです。
今年の私の目標は「ゆとりを持つ」なのに、やはり時間に追われ、こうなったら困るからこうしよう、が、いつの間にかこうしなければならないとなって結局時間に追われているような感覚を持っています。
ここでゆっくり深呼吸をして、はて?と時間とゆとりについて考えてみました。

ある方が「目標をもって、そのためには今これをやらなきゃと逆算していると、結局自分を追い詰めることになって、余裕をなくし、できない自分を責めて落ち込む。それよりも今できることをやっていけばもっと楽に生きられるし、そのほうがおのずと将来につながっていくのではないかと気が付きました」と話してくれました。

いつの間にか、やりたいと思っていたはずなのに、「やらされ感」になっていくんですね。時間を自分が「やらされる」のではなく、やりたいから使うのだと、自分の意志を介入させて主体的に時間をコントロールできているという感覚は大事だと思います。
つい忘れがちです。1日、6,000歩以上歩きたい!と思って始めたのに、いつの間にか6,000歩以上歩かねば!あ!どうしよう時間がない!ああ、できなかった・・・。となります。自分でこうしたいと思ったのだから、するもしないも自分で決めればいいことになのに。

やらなくていいことはやらないで今の自分にとって大切なことに時間を使えばいい、そうだ私は今、休みたいじゃん。・・・。なんか気持ちが落ち着いてきました。

先日、「ひきこもり等生きづらさに関する講演会・合同相談会」(5/6)に行ってきたのですが、その中で益田裕介氏が(精神科医ユーチューバー)次のように言っていました。
「5分くらいただ眼をつぶって瞑想ができるかどうか?できない人は精神エネルギーがない人」と。
なるほど、そういう状態のときは、休む、ぼーっと過ごす、よく寝るのが大切なのに、そういう時に限ってあれこれとエネルギーもないくせに頑張ろうとして疲れ切ってしまうのが常だなあと。
自分が許せなくなるんですね、きっと。何かに追われていると(つまりは罪悪感を持っていると)5分の瞑想も難しいです。

余裕を持つと人間関係がよくなり、人にやさしくなります。きっと自分にもやさしいからですね。

ああでも、結局私は休日にまた、タスクをこなさなければと一所懸命にこれを書き上げたのです。
・・・・・・。
さて、散歩でも行きますか。

※茗荷谷クラブで行ったストーンアート。
お気に入りの石を公園でみんなで拾いました。
もっと素敵な作品はたくさんあったのですが、とりあえずワタクシのです。

チーフスタッフ 井利由利

2025年4月21日月曜日

「茗荷谷クラブのプログラム」~チーフスタッフコラム 2025年4月

新年度が始まりました。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。

茗荷谷クラブでは、毎年度、3月に「振りかえり」のプログラムをやっています。
今年度のメンバーさんと共にプログラムを振り返ろうというものです。
そこで、今回は、年間の下半期のプログラムをざっと紹介したいと思います。
※(ほっと)はほっとスペースのプログラム、(SST)はSSTグループのプログラムです。

10月4日(ほっと)クリアリング・スペース(自分の問題から心の距離をとる)
10月9日(SST)○○愛を語ろう(自分の好きなものについて語り合う)
10月11日(ほっと)偏愛マップ(自分の偏愛するものを図にして語り合う)
10月16日(SST)教育の森でFCを育む(遊びながら自分の中の子どもの心を開放)
10月18,19日(合同)秋の一泊旅行@岩井海岸
10月23日(SST)私の人生曲線(自分の人生をできるところを曲線で表し振り返る)
10月25日(ほっと)秋の絵手紙講座(公園に行って絵手紙を制作)
10月30日(合同)フリーデー
11月1日(ほっと)課題達成(7つの島の伝説の課題を解く)
11月6日(SST) 気分の落ち込みを癒すには(落ち込んだ時の対処法をみんなで)
11月8日(ほっと)自主プロ会議(メンバーさんでやりたいプログラムを会議)
11月13日(SST)美と毒(?)
11月15日(ほっと)ゆがみん(自分の思考の癖を考える)
11月20日(合同)スポーツ大会
11月22日(ほっと)自主プロ(芋と栗とカボチャのフェス@大久保公園)
11月27日(SST)Value85(自分の価値観を知る)
11月29日(合同)フリーデー
12月4日(SST)クリスマス会準備(役割を決めて企画、準備)
12月6日(ほっと)クリスマス会準備(役割を決めて企画、準備)
12月11日(SST)なんちゃってPFスタディ(自分の欲求不満場面での行動を知る)
12月13日(ほっと)居場所鍋(居場所について話ながら鍋を作って食べる)
12月18日(合同)クリスマス会@かるた会館
12月20日(ほっと)今年の十大ニュース(それぞれの十大ニュースを語る)
12月25日(SST)忘年会(鍋を作って忘年会)
12月27日(合同)フリーデー

というわけで、書いていたらすごく長くなってしまい、まだ半分ですが、こんな感じでやっていることが伝わったでしょうか?

1月には初詣と大掃除、書初め、2月はガトーショコラ作りや聞香、漫画アテレコ、セルフコンパッション(自分に思いやりを持つ)、そして行事は、ボウリング大会、文化祭@シルクロードカフェ、3月は、漢字フォーカシング(その人を感じ一文字で表して交換しあう)、座布団カバー直し、曼荼羅アート、お花見などをやりました。
ブログにもたくさん記載がありますので、ぜひ、ご覧ください。

プログラムは、小グループになって、メンバーさんもスタッフも、対等に話し、考えます。私自身も改めて気づくことがとても多いです。
人気があるのは、やはり食べたり、体を動かすものです。楽しい!が一番ですね!

午前中は毎週、フリータイムで、自由に過ごしています。プログラムもフリータイムも、もちろん自由参加です。フリーのほうが少し参加者が多いです。

居場所を探しているけれど、どこに行ったらいいかわからないという方も多いと思います。参考にしていただき、ぜひ一度見学にいらしてください。
スタッフもメンバーさんもみんな待っています!


「ポケモンGOのイワンコと一緒にお散歩しているところ」by井利
かわいくて癒されます!

チーフスタッフ 井利由利

2025年3月18日火曜日

「齋藤友紀雄先生ご逝去にあたって」~チーフスタッフコラム 2025年3月

令和7年2月25日 齋藤友紀雄先生がご逝去されました。享年88歳でした。
齋藤友紀雄先生は、1985年から青少年健康センターの設立に携わり、2004年から2021年まで会長、2021年からは名誉会長として、ずっと、私達を見守り教えてくださった方です。
その他にも、自殺予防活動への社会的貢献により、国際リングル賞受賞。「いのちの電話」、「CCCキリスト教カウンセリングセンター」など、たくさんの悩み苦しむ方々のために尽力されました。

3月7日に葬送告別式が行われ、参列致しました。その時に追悼の意を表させていただきました。
今回は、そこでお話させていただいたことを少し記したいと思います。

追悼
私は1991年から茗荷谷クラブのスタッフとして活動していました。
2006年ごろでしょうか、青少年健康センターが実はとても財政的に苦しく、このまま活動を続けていけるのだろうか、スタッフの生活を支えるだけの給与が払えない、何とかしなければと言う危機を迎えていました。
2009年に齋藤先生と飯田橋の教会でお会いしました。
私の不安や不満を丁寧に聴いてくださり、現場スタッフに迷惑をかけて申し訳ない、これかも一緒にやっていきましょう。寄付文化は日本ではまだまだですが、僕は頑張りますよ、とおっしゃってくださり、勇気づけられたことを覚えています。
その後も何度か先生のご自宅の近くの阿佐ヶ谷の喫茶店でお話を聞いていただきました。

ひきこもり支援は自殺とは切っても切れない関係にあります。
私達スタッフは常にだれかの死と向き合い、死んでしまうのではないかとの思いと自らの中で戦いながら関わっています。

齋藤先生は、「自殺は特定の個人だけでなくコミュニティーの全体の問題」としてとらえられており、この視点が日本では欠けてきたのではないかと話され、社会の問題との意識を広げてくださいました。
日本政府は2001年に初めて自殺対策を立ち上げ、2007年には自殺対策総合大綱が決定されました。

また、齋藤先生は「自殺もひきこもりも、心の弱さを抱えている若者の支援が共通の課題です。本当に必要なのは『ケア・温かいまなざし』です。そのためには『弱さ』そのものを認識し、弱さを受け入れることが必要です」。「自分自身の弱さ、他者の弱さを受け入れなさい。そしていつでも助けを求めなさい」とあの、柔らかいやさしいお顔でおっしゃってくださっています。
私は、その言葉をいつでも胸に刻み、斎藤先生に支えられてきました。
青少年健康センター茗荷谷クラブを40年近く続けられてきたのは、斎藤先生がいてくださったからです。
本当にありがとうございました。どうか安らかにそして変わらず、見守っていてください。
ありがとうございました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。


チーフスタッフ  井利由利

2025年2月13日木曜日

「老年期の心理について」~チーフスタッフコラム 2025年2月

文京区では、今年度、「文京区ひきこもり支援センター」を中心に、茗荷谷クラブと多くの関係機関が何度も会議を重ね、『ミドルエイジライフハンドブック』や『親亡き後の心配を安心へ~できることを少しずつ一緒に見つけませんか~』のチラシの配布、そして令和6年9/20の『ぶんきょう区報』ではひきこもり・生きづらさサポート特集号を発行し、「誰もが安心して暮らせる地域のつながりについて一緒に考えませんか?」を発行しました。


私達が目指したのは、地域の方々に対し、ひきこもりへ偏見をなくし、ひきこもっていてもいい、何か私たちにお手伝いできることはないかと思える暖かい地域の文化を醸成していくことです。

2020年からひきこもり支援は39歳を超えて全年齢を対象にしました。特に、8050問題と称される80代のご家族の方や長期・高齢化したひきこもりの方に、支援の手があること、希望を失って欲しくないことをどのようにすれば伝えることができるのかが大きな課題でした。

8050問題に取り組み始めて、まだまだ家族の方やご本人にセルフ・スティグマを持ち、恥の意識がとても強いことを感じてきました。とても難しく、困難を感じています。でもそのなかでも、多くの親御さんとお話しし、教えていただくことも多くあります。

「今から本人が働くことをもう望んではいません」。「ただあの子の人生を想うとどうすればよかったのかと後悔ばかりが浮かんできます」。

まぎれもなく否定的な悔やみ切れない過去、さまざまな挫折、何よりも子どもを自立させることができなかったという深い悲しみや自分自身への怒りを抱えています。

私達に何ができるのだろうか?
訪問する、医療につなぐ、居場所に誘う、他機関と話しをしながらあらゆるリソースを使う・・・。それでもなかなか難しいです。

高齢者の心理の視点から考えてみたいと思います。
老年期において老年者が直面する心理的過程は、何十年と生きてきた自己、現在に生きている自己、そして不確かな未来に生き続けるであろう自己の意味を理解しようとすることです。そのことによって、今までの生活や人生の喪失感と自分自身の今感じる幸福感とのバランスをとる時期であると言われています(エリクソン他1986-1990)。
あるお母様は、亡くなったご主人との思い出のお写真をたくさん持ってきてくださいました。そこには、素敵でダンディなご主人と美しい奥様、そして凛々しい青年がにこやかに笑っていました。そんな過去の楽しい思い出を語りながらご自身を振り返り、「なにか原点に戻れたような気がします。無理せずに自然体で行こうと思います。なんとかなります」と語りました。「せめて私が死んだ後も、あの子が生活していけるように今からできることをします」
そして「お話しを聴いていただいて、本当に助かります。変化はないけど、これからもお話しを聴いていただいていていいんでしょうか?文京区に居て本当に良かったです。安心して暮らせます」と。

自身の人生を語ることによって否定的な意味を持った出来事も、振り返るときの視点の如何によって、肯定的な意味づけがなされることもあり得ます。解決を焦らず、その人その人の人生にゆっくりと寄り添っていければと思います。

何よりも、楽に、穏やかに、暮らしていただきたい、と思います。

チーフスタッフ 井利由利

2025年1月16日木曜日

「共感と合意」~チーフスタッフコラム 2025年1月

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

忘年会やら新年会やら、改めて話したり、笑いあったり、楽しい時間があったり、普段会えない家族がお正月に来たり、年末年始はやはり大事な節目であると思いました。
皆さんはどんなお正月でしたか?

年末に、本田秀夫先生の「年代別 発達障害の支援 思春期の支援」と言うユーチューブを見ました。とても分かりやすくてお勧めです。
その中で「共感と合意」と言う言葉が出てきました。今回はそのお話しをしてみようと思います。

「支援」とは何か?
支援と言う言葉は、何か違和感を感じ、好きではないのですが、外部に向ってひきこもりについて話さなければならないときには、使わざるを得ず、何と言えばいいのか?いい言葉が見つからない…とずっともやもやしながらいました。

「支援」と言う言葉は「力を貸して助けること」と言う意味だそうです。
何か、力のある者が力のない者を助けるというニュアンスがあり、いや、力のない人たちじゃないし‥とカウンセリングをしていても、居場所で一緒に活動していても、いつも感心したりリスペクトしたりすることが多いし!

もちろん、発達心理学的に言えば、アイデンティティの獲得が思春期の課題であるのですが、発達とは、その人のペースで、その人なりの花を咲かせることです。
具体的には、誰もが、自己選択し、自己決定し、自己実現に向かう成長へのプロセスにあるというのが「発達」です。

その際に大事にしたいのが「支援」ではなく、「共感と合意」。
本田先生すごいなあ!です。目からうろこでした。
話を聴いて、わからなければ何度でも何度でも話を聴いて共感できること、そして互いに合意していくプロセスが大切です。

やりたくてはじめたはずなのに、つい自分でノルマを課してしまいがちになり、それがしんどくてできなかったり、もっと~しなければのこだわりから過剰適応になりうつになって動けなくなったり、自己選択、自己決定はとても難しいです。
でも一緒に共感しながら試行錯誤に付き合い、そして、頭の整理と情報提供ができれば・・・せめてそれがあれば…と思います。

熊谷晋一朗氏がこう述べています。
『障害者の自立生活運動は、依存先を親や施設以外に広げる運動」だといいかえることができると思います』と。
熊谷氏は「支援」ではなく「自立生活運動」と述べています。
「自分依存」(誰も信用できない、自分が頑張るしかない、人になんか頼れない)ではなく、仲間や人の依存先を増やし、関係を広げることを目指していくこと、「支援」ではなく「共感と合意」をあたりまえにできたらと望みます。

眠いよーと言っているうちのネコ。
見てたら私も眠くなりました・・・。


チーフスタッフ 井利由利

2024年12月24日火曜日

チーフスタッフコラム 2024年12月

第34期東京都青少年問題協議会では、「東京都子供・若者計画(第3期)」の改定に向けて、第3期計画で取り組む事項としての答申案が出されました。(12月19日プレス発表、傍聴あり)。
「困っていたら周囲の人が助けてくれると思う」若者の割合は現状で、57.2%。
「自分の意見が採用されると思う」若者の割合が現状では50.9%。
「自分の行動で社会を変えられると思う」若者の割合が、現状、29.4%。

この現状を見ただけでも、若者の大半が、生きる意欲を持ちにくくなってる、生きづらいことが想像されます。第3期の改定により、この数値を現実の施策を基にいかにあげていくかが課題です。

なぜ、このようになっているのか?今回は、心理学的な視点―アイデンティティ-の話から模索してみたいと思います。

アイデンティティ理論は、発達心理学者エリクソン(Erikson E.H1902-1994 )がその基礎となっています。
エリクソンの発達段階説では、人は、成長するための8つの発達段階における「危機」(社会的危機)があり、それをクリアーしながらその段階の発達課題を乗り越え、成長していくとしています。
青年期の発達課題はアイデンティティの獲得であり、社会的危機は、アイデンティティ拡散とされています。
アイデンティティとは、過去から現在、未来につながる一貫した連続性、独自性を持った自分自身であるという確信。そしてそれが周りの人たちや社会においてもそういう自分であることが一致して認められていることを言います。

青年期のアイデンティティが課題とは言え、現代の若者は今やアイデンティティ拡散状態が一般的になっているとすでに1980年代に小此木(小此木啓吾「モラトリアム人間の時代」)は述べています。
アイデンティティ拡散状態になると、生きづらさを抱えることになります。
アイデンティティ拡散状態とは、自意識が過剰となって自分が、社会の中で、何に向いているのかを模索する「モラトリアム(それを試行錯誤しながら“実験”する期間)」のプロセスを楽しむ活力が失われ、自己定義を回避し、選択できなくなっている状況を指します。
また、自分が拡散しているので、人との距離の取り方が分からず親密になると飲み込まれる不安を抱えることになります。時間が停滞し、未来に対する希望や展望が失われます。

マニュアル化された社会の中で、若者は試行錯誤したりチャレンジする“溜め”の時間を失い“役割実験”ができなくなっています。
このことは青春時代の喪失であり、ひきこもりを生み出す要因になっていると鈴木國文(鈴木國文他『ひきこもりに何を見るか』)は述べています。
なんでもマニュアル通りにやらなければならないは、失敗が許されないと同義語に近いため、失敗できないと身構え、自由に動くことができなくなっているのではないかと思います。
こうした現代社会の中で、従来のアイデンティティを獲得していくことは容易ではありません。

では、どうすればいいのでしょうか?

アイデンティティの獲得は、「大人はかくあるべし」と言うものではありません。
もっと柔軟にモラトリアムを生き抜いていくことが勧められていいと思います。
ここには、アイデンティティ拡散を積極的に肯定的にとらえる視点があります。
上記に述べたアイデンティティ拡散を自覚し、それに陥ることなく「暫定的・一時的な社会的存在であること自体を新しいアイデンティティとして自己を実現していく」(小此木)ことです。

若者たちが、心理的危機を乗り越えるために社会に求められている、オトナに求められているのは、すべての選択は暫定的であっていいという柔軟さとゆとり。人は自分の生き方を生涯にわたって変える権利を持っています。

「あなたはあなた」です。

そして自分の個性は多くの個性に囲まれて気づき、築かれるものだと思います。
様々な大人や仲間との関係の中でその時その時に何らかの役割を果たし、実験をし、安定感を感じ、肯定的な自分らしさを見出して欲しいと思います。


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メリークリスマス!
クラブの皆さんに送ります!


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チーフスタッフ 井利由利

2024年11月20日水曜日

「外遊び」~チーフスタッフコラム 2024年11月

茗荷谷クラブでは、午後の活動時間はプログラムタイムを行っています。
季節がようやくよくなってきて、この機会に外へ出ようと、外プログラムを企画しました。二つ紹介します。

一つは、「教育の森でFCを解放する」です。
FCとは何か?ちょっと前に「私の中のオトナとコドモ」と題し、エゴグラムをやりました。
その中で出てきた自分の心の中の5つの自我状態(CP,NP,A,FC,AC)の一つがFC、つまりFree Childです。子どものこころですね。
私たちの中にある自由な子どもの心をリカバリーしようとするプログラムです。要するに子どもに戻って遊ぼう!外で思いっきり遊ぼう!というわけです。

私たちは自由に行動しているように見えて、他者の目を気にしていたり、何かに監視されているようにしていて、自由に動くことはとても難しいです。

ミシェル・フーコー(1926~1984)は、私たちが自由だと思っているものが、実は自分の心の中に埋め込まれた「監視の目」で作られていると言いました。それは私たちの心に他者からの視線によって植え付けられてきたものです。

また、エーリッヒ・フロム(1900~1980)は、人間は自らの自由を放棄してしまう心理的メカニズムを持つ。つまり、私たちは、「匿名の権威」に支配されているといいます。
「匿名の権威」の装いは「常識」であり「科学」であり「精神の健康」であり「正常性」であり「世論」であると。これらに追従するだけの状態では、私たちは自動人形になる。つまりは、自分を見失ってしまう・・・?

自分は自由なんだという感覚が欲しいですよね!それなのに、困難を抱えた若者たちがこうした観念に縛られ苦しんでいるとよく感じます。

ずっと昔からこんな風に述べてる人がいるのに、私たちはますます監視の目に縛られ自らの自由を放棄しようとしています。
おおらかさを失い、溜めや無駄を排して目的や目標に休むことなく、立ち止まって考えることもなく、お祭り騒ぎのように忙しく動くことを求められている気がします。

フロムは、積極的な自由なパーソナリティの全体は、統合に基づく「自発的な行為」の内に存在すると述べています。
私たちは遊ぶ時、この「自発的な行為」を、自由を、おのずと自然と体験するように思います。
思いっきり体を動かして遊んだ幼かった頃を思い出してください。そう・・・思い出せるといいな・・・と思います。

この日は、『ドン!じゃんけん』とか、『川鬼ごっこ』とか、ボールを落とさないようにみんな『輪になってのバレーボール』とかをして遊びました。
みんなの笑顔が素敵でした。
私たちの中のオトナとコドモが交互に現れ、オトナとコドモを行ったり来たりしてました。
楽しいことが一番です!スタッフも、メンバーもみんなで楽しんじゃうこと、それが一番だと思います。

2つ目のプログラムは、「絵手紙」です。
クレヨンと画盤と2枚の白いはがきだけをもって、公園散策しながら絵手紙を描き、皆で発表して共有しました。
下手でもいいから、クレヨンで下書きもなく思いっきり描いてみると、とても楽しい気分になりました。
うまく描かなければという気持ちに縛られずに自由に描けると楽しいです。

ちょっと恥ずかしい(監視の目?)けど、私の描いた絵手紙を写真で撮りました。手紙の宛先は、自分です!




チーフスタッフ 井利由利

2024年10月29日火曜日

「対話の大切さ」~チーフスタッフコラム 2024年10月

東京都青少年問題協議会第34期では、東京都子供・若者計画(第2期)の改定に向けて協議しています。
第2期は令和2年度~令和6年度までで、この後の令和7年度~5年間の第3期計画の策定になります。
改定の施策推進の視点は、令和5年4月に施行された『こども基本法』令和5年12月に策定された『こども大綱』に基づいています。

『こども基本法』は、心と身体の発達の過程にある者を「こども」とあえてひらがなで表記し、対象に「若者」(18歳~39歳)に関わる施策を含むとしています。

また、若者たちが自分たちの意見を国や都の施策に反映されると微塵も思っていない昨今の現実、意見を表明する場も、機会もない子ども・若者の「意見を表明する機会」「多様な社会活動に参加する機会の確保について、地方公共団体が実施の責務を負う」旨を規定しています。

若者の居場所の拡充など、困難な状況に置かれた若者への対策を強化する方向です。

さて、茗荷谷クラブに、東京都青少年問題協議会 若者支援部会よりインタビューの依頼が来ました。
若者の居場所についてと、東京都への要望等意見を聞こうというものです。

5人まで限定だったのですが、居場所でアナウンスしたところ、5人のメンバーさんがインタビューを受けてくれました。
とても真剣にたくさんお話ししてくれていました。ほんとにほんとにありがとう!

何より必要なのは、話したことや意見に対して、都はどのように受け取ったのか、どのように施策に反映させるのかのフィードバックです。

本来は、話してくれた個々の方に対してフィードバックがあるべしと思うのですが、今のところ都に訴えても、反映させていきたいというだけで納得のいく答えはありません。現実的に難しいことは承知していますが。

西東京市では、子ども会議を開催して、子どもたちが意見を言う機会を作りました。一つひとつの意見に対し、西東京市からのコメントをつけて冊子にまとめ参加してくれた30人の子どもたちに郵送しました。コメントが児童青少年課長や、教育企画課長、教育指導課長などなど、その他、その課題について各所管の課長が一つ一つにコメントを返しました。これはすごいことだと思います。

先日、子ども条例市民講座を開き、市長、副市長、教育長も参加して、『子ども会議発表会・座談会~子どもと一緒に考え・子どもの声を施策化する~』を行いました。

例えば、体育館の自由解放をしてほしいという意見に対して、学校は安全な場所であることが大切で、けがなどの心配があるのでみんなで話し合ったり、ルールを作ったりすることが必要です云々という答えがあったのを見て、ある小学生の少年は「そういうことを言っているのではありません。もっと広いみんなで遊べるところが欲しいということなんです」と発言しました。
そうだよなあ、そういうことじゃないんだよなあと思いながら、対話をしていくことの重要性を改めて感じました。

参加している親御さんからは意見を言えない子ども達もたくさんいる、そういう子はどうすればいいのか?という意見も出ました。

茗荷谷クラブについて「自分の話したことが、必ず返ってくる、必ず反応がある場」と話ってくれた方がいました。逆に言えばそういう場ってあるようでないのかもしれません。

書ききれないのですが、10月18日、19日と岩井海岸に秋の一泊旅行に行きました。いっぱい対話が生まれたと思います。

雨が降ったり風が吹いたり天気は結構大変だったけど、たくさん話して、ほんとに楽しい思い出になりました。参加してくれた方たち、ほんとにありがとう!今回行けなかった方たち、またよかったら行こうね!
海から富士山が見えました!


チーフスタッフ 井利由利

2024年9月10日火曜日

「身体の共鳴」~チーフスタッフコラム 2024年9月

なぜかゴリラに惹かれる。
イケメンゴリラなんてほんと理想的♡

(イケメンゴリラ シャバーニ)

というわけでゴリラについて探っていったら、山極壽一所長(総合地球環境学研究所)のNHKアカデミアに出会いとても感動しました!今回はそれを書いてみたいと思います。

NHKアカデミアによれば、山極氏がゴリラに惹かれたのは、ゴリラの暮らしや生き方を学んで、その中に人間の祖先の暮らしを想像することができる。人間の本性というのが、まさにそこに眠っているからです。ゴリラは私たちの祖先ですものね。

例えば、「胸をたたくドラミングも”相手と戦わずして引き分ける“ためのコミュニケーション」だといいます。
その他、「けんかやトラブルを巧妙に仲裁する」 「ゴリラの民主主義」「ゴリラのオスはとても子育て上手。えこひいきしない。平等な立場でつきあえるように父親は振る舞う」「食べ物を分配する行為」など、人類の本質的な姿がたくさん書かれています。ぜひ、読んでみてください!

しかも山極氏はこう言います。

「ゴリラってね、親しくすると距離がなくなってしまうぐ らい、密接してつきあうことができるようになるんです。例えば雨が降ってきて、私が木のウロの中で雨宿りをしていると、タイタスがやってきて私の肩に両腕を投げかけて…抱き合って 1 時間も一緒に眠るということをやったことがありますけれどね、それだけ親しくなれる。だからゴリラは本当に親しくなると、その暮らしというものを、社会というものを、内側から眺めさせてくれる。そういう存在になるんですね。」

何と!ゴリラと友達になるなんて!

そのためにはどうしたらいいのだろうか?と考えた時、ゴリラは言葉を持たないということを忘れてはなりません。
長い引用ご容赦ください。

「人間は常に言葉を介してつきあうので、ひょっとしたら自然とまともにつきあっていないかもしれない。それがゴリラとは違うところだと思います。例えば、言葉で通じ合わせることをやめて、友達と一緒に夕焼けを見るということをしてみるとよく分かりますよ、そのことが。感動していても、それを表現する言葉が見つからないときってあるじゃないですか。それがゴリラと僕が経験したことなんですよね。言葉を持っていないから言葉でわざわざ言い表さなくてもいい。だけど、相手が感じていることが自分にも分かるという経験をするんですよね。そうすると相手にすごく近づけるんです。」

「言語に偏り過ぎたコミュニケーションを考え直して、もっと身体的なコミュニケーションを増やして、人と人とが信頼関係を構築することだと思います。一緒に食事をすること、一緒に音楽を演奏したり歌を歌うこと、 ダンスを一緒にすること、スポーツをすること、あるいは共同のボランティア活動に参加をしたりして、身体を共鳴させることです。「身体の共鳴」が、お互いの共感を呼ぶんです。
言葉以外のコミュニケーションを増やすことによって、相手の身体に埋め込まれている気持ちや感情を深く知ることができ、それによって相互理解が深まるんだと思うんです。私たちは今、この戦争がまん延している、暴力がいろんなところで起こっている社会を見直して、新たな共同体、新たな社会というものを創造するために、これまでにはないアイデンティティーの確立を目指さなければならないと思っています。」

実は、茗荷谷クラブの居場所を紹介した時に、遊んでいるだけでいいのか?というような疑問を呈した方もいました。
一緒に体を動かして遊ぶことの大切さをどう伝えればいいのか?といつも思い、やはり言葉に頼らざるを得ないのですが、伝わる言葉を探しています。

私自身は、「身体の共鳴」によってつながりやエネルギ―がもらえていく過程を実感できる、そのことがとても幸せなことだと感じ、日々茗荷谷クラブの活動を楽しんでいます。
皆さんにもぜひ、知って欲しいです。
                                          チーフスタッフ 井利由利

2024年8月13日火曜日

「あるあるかるた」~チーフスタッフコラム 2024年8月

暑い暑い日が続いています。
日本の夏はどうなってしまうんだろう?!と嘆きたくもなりますが、茗荷谷クラブは7月は暑さにめげずにとてもたくさんの方がいらしてくださいました。

その中で今日はプログラムで行なった、「人見知りあるある“かるた”」の紹介をしたいと思います。
メンバーさんが書いてくれた“かるた”をいくつか紹介します。

○あ:愛想笑いの電池切れ
○い:イヤホンがないと外へ出れない
○う:うまくしゃべれない
○お:怒ってないよ
○き:距離が近いと戸惑う
○く:クール、よく言えば
○し:自信がないほど下がる音量
○そ:そういえば誕生日を知っている人が誰もいない
○た:他人と視線が合うと怖い
○て:手を挙げれずトイレに行けずじっと耐える
○と:友達の友達と気まずい二人きり
○は:発表することは何が何でも避けたい
○ま:まわりの目に怯える
○ひ:ひそひそ話に怯える
○ふ:服やさんのフレンドリーな接客が苦手
○へ:返信1通で時間と体力を使い尽くす


誰にもあるこんな気持ち・・・。でもなかなか言えなかったりします。
ほんとはそのまんまでいいのですけれど。
絵札も書いてみんなでかるた取りをして遊びました。

皆で「ある、ある」と話して少し気持ちが楽になったらいいなと思います。

チーフスタッフ 井利由利

2024年7月16日火曜日

「正しい?」「正しくない?」「わかんない」~チーフスタッフコラム 2024年7月

七夕の願いを、お香の香りのする紙のお札(?)に書いて、小さなお手製の笹につるしました。
ちょっとした、鳥居とか神社の狛犬とか池とかいろんなグッズを小さく粘土で作りました。
‥‥と書いていったい何をしているんだ?と思った人もいるかと思いますが、これはある日の茗荷谷クラブのプログラムの様子です。

5,6人の小グループになって、まったりと願い事を書きました。
自分のこと、世界のこと、欲しいもの、こうなって欲しいことなどなど。
それぞれ粘土でコネコネして七夕的な(?)好きなものを作り、その感触に癒されて、願いごとをたくさん書きました。

これから本番です。ろうそくをともして部屋を暗くし、笹にぶら下がったお札に火をつけ燃やしていきました。中くらいの陶器の小鉢の中でですが。
お札は燃やすと快いお香の香りがします。炎はゆっくりと暖かく燃える予定だったのですが、思いのほか勢いがすごかったりとハプニングもありましたが、みんなの想いよ、天に届け~~。そして願いがかないますように~~。

だいぶ前には、自分の嫌だったこと、苦しみなどを書いて、やはり同じようにしたことがあります。火にくべて燃やしてしまえ!というわけです。
あっ、もちろん宗教とは関係ないです。

自分の思うようにならない事、かなわない願い、不条理で不公平な世の中、とたくさんの苦しみがあります。
こうでありたいけどそうでない自分、自分にOKが出せたらいいけど、とてもそんな気にはなれない・・・。

「こうしなきゃ、こうしなきゃ、こうでなければ・・・!が外れた分、キチンと物事に集中できることに気がつきました」と話された方がいました。

水泳のオリンピック選手だった萩野公介さんが引退後のテレビのインタビューでこんなことを言っていたのを思い出しました。
「水泳のことは水泳で解決するな」
そうコーチから言われ、ひどいスランプに陥っていた萩野さんは、水泳の練習を一切止めて、海外へ放浪したそうです。

何が正解なのか?どうすればいいのかよくわからない…というのが本音ですが、こだわって一生懸命になること、がんばることだけがよいわけではないのだということは分かったような気がしました。

そして、これだけはわかります。
まったりと炎を見ながら、願い事が煙となって消えて、笑いあって過ごした時間はとても心地よかったなと。

私の願いごとの一つは一生の内に象に乗ることです。
むかーし、駱駝に乗りました。めちゃくちゃ楽しかったです。
写真はガイドブックを写メしたものです。
現実になればいいなあ。



チーフスタッフ 井利由利

2024年6月24日月曜日

「こども基本法」~チーフスタッフコラム 2024年6月

「自分の機嫌は自分でとる」とある方が話されました。その方は、家族の理不尽なあらゆる感情を八つ当たりされてきました。

個人の心のスキーマ(認知の仕方)など、いわゆる個々の持つ心のシステムに働きかけ、情動的受容を礎にしながら、カウンセラーと共に理解を深め、事象を客観的、理性的に見ることで、いわゆる「気づき」を目指し、本来のその人の持つ感情を大切にその人らしい生き方を共に模索していくのがカウンセリングです。

でも、問題はそう単純ではありません。様々な理不尽、どうにもならないこと、時には聞くに堪えないほどの酷い環境であったりします。

いつも私の頭の中に以下の言葉があります。
『そもそも個人のシステムと環境のシステムとの間に不適合がある場合、カウンセリングは環境の問題を解決しようと言う発想を持たない。むしろ適合できない個人のほうに関心を向けさせ、個人の問題として解消を図ろうとする。結果的に、社会に生じる矛盾や問題にはあえて目を向けさせない方策といえなくもない』。

カウンセリングの功罪と言われたことです。
ずっと以前に読んだ著書、確か「カウンセリングの功罪」という本だったと思のですが、メモは残っているのですが、ネットを調べても見つけられませんでした。なので不確かな情報ですみません。

大きな目で見ること、社会との接点を忘れずにいることが大切です。
そして個人とお話しするときにも、個人の問題にのみ収斂するのではなく、常に置かれた環境とのバランス、そして環境(社会)へ、そのおかれた場へ提言していくことや働きかけを同時にしていかなければならないことを忘れてはいけません。

2023年4月「こども基本法」が施行されました。
「心身の状況、おかれている環境等に関わらずその権利の擁護が図られ、将来にわたって幸福な生活をおくることができる社会の実現」を目指していくと宣言しています(こども基本法1条)。

なお子どもを平仮名で「こども」としているのは、「こども」の定義について、年齢で定めるのではなく「心身の発達の過程にある者」としています。18歳以上の若者も入ります。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの西崎萌氏は、子どもの虐待など子どもに対する悲惨な事件が後を絶たないのは、「一個人の問題ではなく社会全体が子どもの権利を軽視した結果である」と述べています。
基本的人権は、重要なキーワードです。

(本コラム参考文献)

先の方は今、非常な努力を重ね、家族と離別し、新しい環境の中で生きています。
そして「私は自分の機嫌は自分でとる。小さい時から自分だけは、家族の中で、そういう人だったことに気がつきました」と話しています。

「ひきこもり」についても、個々への丁寧なかかわりと、社会の問題であるという意識を持ってやっていきたいと改めて思います。

チーフスタッフ 井利由利

2024年5月13日月曜日

「精神の三様」~チーフスタッフコラム 2024年5月

4月19日(金)多摩動物公園に行ってきました。メンバーさん20名、スタッフ9名、計29人で行きました。

とにかくよかった!天気はばっちり!初夏みたいでしたけど風が涼しかったです。
広い!人が少ない!木が多い!多くの動物たちが私たちを迎えてくれました。

アフリカ園のライオンたちは皆寝そべっていましたが、チーターはしなやかな体を披露して動き回っていました。
私が心惹かれたのは、このチーターとキリン(たくさんいた‼まじかに)。


ゴールデンターキン(大きくて角と顔が哲学的、鳴き声も響いた)、レッサーパンダ(あんなにかわいいとは新たな発見!すごーく癒された)、ユキヒョウ(もうほんとに立派!おもわずぬいぐるみを買ってしまいました!)・・・・というわけできりがありません…ので、、この辺でやめておきます。


茗荷谷クラブでは、イベントをたくさんやります。
みんなで同じものを見たり、ごはんを食べたり、おしゃべりしたり、普段あまり話さない人とも話したり、ちょっと歩きながら相談してみたりといろいろなことができます。

一緒に遊べて思い出ができると、特に何があったわけではないけれど、お互いの距離が縮まったりなんか話しやすくなることも多いです。

「遊べること」「楽しむこと」は実はなかなか難しかったりします。
私たちは、ふと「こうでなければ」とか「これは正しいのか?」とか「年齢相応なのか?」などと考えてしまうからです。
真に楽しむってどういうことなんだろうか?などと考え始めると楽しむどころではなくなってしまいます。

大人になることは、子どもに戻ったり、大人になったり、また子どもになったりを自由に行き来できることだと言われています。でも、そんなことを意識した時点でもうなんか別の次元に行ってしまいますよね。
だから、なんか自然に周りのことは何も考えずに、動物たちに癒されたり、かわいいなあ、すごいなあとただ感動したりできる機会が私たちには必要なんだと思います。

ニーチェの精神の三様の変化についての語りから引用します。
ニーチェは、精神は人の成長と共に、駱駝(重荷に堪える精神)となり、駱駝が獅子(自由をわがものとし、義務に対してさえ「否」という精神)となり、獅子は、小児になると言います。最終的に私たちは、小児になるのでしょうか。

『小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始動の運動、「然り」という聖なる発語である。そうだ、私の兄弟たちよ。創造という遊戯のためには「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する』
ニーチェ「ツァラトゥストラ」より

きっと階段を登るようにではなく、日々これの繰り返しの中で、私たちは、毎日自分らしくなっていくのだろうな、と思います。

チーフスタッフ 井利由利

2024年4月15日月曜日

チーフスタッフコラム 2024年4月

某区の教育委員会で、小学校のいじめ問題に関わっていますが、難しい案件が多く、悩んで、なんだかむなしくて、つらくなることが多いです。
私は、小学校の現場にいるわけではないので、勝手なことは言いたくないし、現場には現場の大変さがあり、全く学校の先生方の忙しさは、ほんとに半端ない!…と思います。
でもそれを承知で誤解を恐れず、架空のお話しをもとに、自分の頭も整理するつもりで書いてみようと思います。

発達障害等、何等かの障害を持っている子どもとの関わりにおいていじめ問題が発生することがあります。
被害者が、加害者によって、つらい思いをしていることは否めず、現行の法律では、本人が傷ついているのであれば、それはいじめと認定されます。
被害者は「暴言を言われて怖くて教室に入れなくなった」と言います。

教室を飛び出してしまう子、保健室に始終行かなければやっていけない子どもも多くいます。特別支援教室に通いますが、そうはいってもほとんどの時間は同じ教室で授業を受けなければなりません。
加害者と言われた子どもはそうやって授業に出ない子は「ずるい」「ちゃんと教えてあげなくちゃいけない」と言います。
確かに自分が教室を出ようものなら、先生に怒られる。でもその子に対しては、先生は怒らないし、自分が「教室来いよ!何やってんの」などと言えば自分が先生に怒られる。「なぜ自分たちばっか怒られるの?」と疑問が解けないのです。

もう30年くらい前に、小学校1年生の時、娘が同級生だったダウン症の女の子のことを「とても怖いって思ってた」と最近、話をしてくれました。
思えば、当時、ダウン症が何なのかも誰も教えてくれず、娘にとっては理解できないその子の行動が怖くて、でもどうしていいかわからず我慢して、母である私も、そんなことには気づかずに、でもなるべくうちの子に近寄らないでくれたらいいなあくらいに思っていた記憶があります(申し訳ない!)。
もしかして、30年前と今は全然変わっていないのかもしれません。

もちろん、先生方は、何とか理解させようとしています。
でも、障害の理解を小学校の子どもたちに教えることはとても難しいです。
そのノウハウもありません。でも知らなければ、どうにもしょうがないです。

その加害の子は中学生になった時に、言いました。
「でも、今思えば、自分が構うことじゃなかった。そんなのほっとけばよかった。今だったらほっておけると思う。自分もストレスが溜まっていたのかもしれない」と。
子どもたちは成長します。でも傷ついた心を癒すのは容易ではありません。
クラスにいたいじめの傍観者も傷を負います。第三者委員として介入する大人は、双方の傷つきを十分に理解することが求められます。

まずは知ること、知識は重要です。
でも、特に目に見えない障害については、誰にも知られたくないとする親や本人もいます。
当事者も変わっていかなければならないでしょう。でも当事者が変われないのは、周りのスティグマがあるからだ!…と堂々巡りの悪循環です。

一人一人の話を聴いて丁寧に対応すること、そして、いわゆる障害、特に精神や発達の障害についての知識と教育が必要だと思います。
その前提やスキルや制度が確立していない中で、傷ついていく子がたくさんいると思えてしかたありません。

茗荷谷クラブのメンバーさんたちがそれぞれどのような学校時代を送ってきたか…とよく想いを馳せます。ほんとに微力ですが、今、やれることをやるしかないです。


チーフスタッフ 井利由利

2024年3月19日火曜日

チーフスタッフブログ 2024年3月

さて今回は何を書こうかな?と考えていたのですが、「いや、やっぱり文化祭でしょ!」と自分の中で想いは強く、すでに他のスタッフがブログに挙げてくれているので、うーん、と思っていたのですが、やはり…書きます!

なぜなら、1年に1度の文化祭が2月24日(土)18:30からいよいよ開幕したのです。

舞台に上がってくれたのは、バレーダンスの赤ずきんちゃん、作品発表として、スクリーン(P.P)を使った3Dプリント作品とその手引き、毛糸のモビールの手作り作品の紹介とコメント(P.P)、ソロ歌(ちいさきもの)、そして5名の方のお気に入りの1枚(写真)の紹介でした。

バレーは圧巻で、本当に綺麗でした!
ソロ歌はぶっつけ本番だったのに、すごく洗練されていてびっくりしました。
作品発表はとても分かりやすく、その方「好き」「得意」が伝わってきました。

そのあとは、みんなで会食。
クラブで作って持ってきたカツサンドをいただいたり、飲み物を注文したりの歓談。
さすが手作りカツサンド、美味しかったです!

そして、最初の盛り上がりは工夫を凝らしたクイズです。
司会の方の進行に沿って、各テーブル(くじ引きで席が決まっていました)ごとの対抗戦。
じゃんけん大会、インディアンポーカーと続きました。
いやいや本当に楽しくて、笑えました。

特に企画を考えてくれた人たちによるクイズは、出題にそれぞれの方の個性が出ていて、かつ、絶妙なクイズ感が相まって答える方も必死で取り組み、対抗戦は大いに盛り上がりました。

第2の盛り上がりは、バンドによるパフォーマンスです。
6つのバンドが演奏と歌を披露してくれました。
曲目は、『アイ』『夏を待ってました』『あいまいでいいよ』『Funny Bunny』『アイネクライネ』『ラフ・メイカー』です。
エレキギター、アコギ、ベース、ドラム、ボーカルの方々が、スタジオに入ったり、クラブの後に練習したり、「みゃうが谷倶楽部」で話し合いと練習を重ねての本番でした。
最後はアンコールもあり、本当に素晴らしい演奏で、感動的でした。

今年は昨年にも増して、メンバーさんにお任せし、スタッフはそのあと押しをするようにと考えました。
何か役割があることで、動きやすかったり、積極性が出ることは周知のことです。

自分が「やりたいこと」や「得意なこと」をすることが、相手の役に立つことにもつながるなら、これほど良いことはありませんよね。
誰かの役に立とう!(例えば親のためとか、上司のためにやらなければ…とかとなると本末転倒です)として何かをやることではなく、結果的に自分のやりたいことが、誰かを喜ばせたり、よい影響を与えたり、役に立つことがあることを知って欲しいです。

そしてたくさん自分のやりたいことをやって欲しいなと思います。

さて、来年はどうなるか?楽しみです。参加してくださった皆様、そして、会場に来てくださった方々、本当にありがとうございました!

チーフスタッフ 井利由利

2024年2月27日火曜日

チーフスタッフコラム 2024年2月

最近は家族会で講演を頼まれることが多く、家族の方や支援の方にお話しする機会がよくあります。
ひきこもりの方は100人100様なので、一言で「ひきこもり」と括ることはできず、お話ししている中でも「あの人はそうじゃない」「あの人はまた違う」などといろいろな方が浮かんできて、「話すのは無理じゃん!」と思っているところがあり、あいまいで、きっと聞いている方にとっては「何をいっているのかわからん」ということになっているのではないかといつも終えた後は「あ~あ」となんだか申し訳ない気持ちになります。

でも、ある時、話している中で気づいたことがありました。
結局ご家族に対して私が話したいのは“家族の適切な距離感”に集約されるのではないだろか?ということです。

そんな中、1冊の本に出合いました。
それが『タフラブ―絆を手放す生き方―信田さよこ著 dZERO株式会社 2022』です(信田先生は私の尊敬する大好きな先生です)。

タフラブ(tough love)は、日本語では「手放す愛」「見守る愛」と訳される言葉です。
特記すべきは、この言葉はアルコール依存症の家族や友人の自助グループから、まさに当事者の最も身近な人たちから生まれた言葉だということです。

『「飲むか飲まないかはあなたの問題です。」と距離を取った言い方をして飲んでいる夫を家に残し、自分はアラノンのミーティングに出ることを続ける。このような対応が積み重なった結果、酒をやめる夫があらわれた。』
そこからタフラブという言葉が誕生しました。
密着し、尽くすのではなく勇気をもって手放すことで夫たちは救われたのです。

私が、必ずお話しすることに「相手を受け入れなくていいです。受け止めるだけでいい。そしてそこからわからないことはわからないと対話を続けてください」と。
理解しましょう、絆こそ大切です、受け入れましょう、あなたしかいません、と言われてきた沢山の家族。
その方たちが、よくわからないまま受け入れようともがき、相手を真綿でくるむように関わり、そして結果的に依存させたり、相手に服従したりする苦しい関係になっているのを見てきました。

『理解すること、わかってあげることが家族や友人にはとても大切と言われるが、「よくわからないけど、なんとなく安心」な人といる方がずっと大切だ。その感覚がタフラブを支えている』

手放す愛は、自分は自分、相手は相手として境界線を引き、相手の問題を引き受けない。
ある種の切断でもあり、自分が必要とされたいと想う感情をタフに割り切る寂しさを伴う愛かもしれません。
でもそれは、『相手が生きていけるように生きていくために自分の力をより発揮できるように手を出さない、手を貸さない』ということです。

あいまいな不安を抱えながら、答えの出ない不確実性を抱えながらそれでも相手の領域を侵さずに余計なことはせずに、変わらず現状維持を大切にそばにいること、それこそが互いの尊厳を大切したかかわりなのでしょう。

“家族の適切な距離感”におそらく正解はなく、ケースバイケースだと思います。
でもタフラブは、日本型の良しとされる「耐える愛」「尽くす愛」の危険性を私たちに教えてくれます。

言うは易し、行うは難しですが、是非、「タフラブ」、お勧めです。

チーフスタッフ 井利由利

2024年1月16日火曜日

チーフスタッフコラム 2024年1月

1月8日、社会的孤独孤立(ひきこもり等)に関する合同相談&講演会に行ってきました。
新年早々、「孤独・孤立」について書くのはどうかと思ったのですが、「孤独死」についてとても考えさせられたので、書いておこうと思います。

3人の方がお話しをしてくださったのですが、その内のおひとりである菅野久美子さんのお話しをお伝えします。
菅野さんはノンフィクション作家であり、孤独死の現場で今起きていることを多くの現場取材を通してお話ししてくれました。
孤独死3万人。いわゆる事故物件の9割は孤独死だそうです。菅野さんの著書を早速読ませていただきました。

孤独死はセルフネグレクト、すなわち緩やかな自死だと話しました。多くはゴミ屋敷となっています。物を捨てられないのはなぜか?なぜ彼らはゴミに埋もれて、亡くなっていったのだろうか?
ご自身がいじめやひきこもり、母親の虐待と思われる家庭環境で育ったことから、菅野さんは、著書「生きづらさ時代」(双葉社 2023)の中で、
「ただ自らの重みによってその場にうずくまるしかない人たちがいる」
「私は思う。自ら回復することすら困難なほど傷つき、地面に崩れ落ちてしまったたくさんの人々のことを。要塞を築くしかなかった無数の「彼ら」のことを」と書いています。

「心の空虚は決して目に見えない―でも、それはモノという形で、確かに部屋のいたるところに転がっていたように感じる」。

「捨てる」ことがその人のアイデンティティを失わせることになる。例えば、その方が、昔生け花の先生だった。また、生け花を飾れるお部屋にしませんか?と問いかける、そんな関わりをしているNPOもあると述べました。

子どものころの経験、過去の経験が生きづらさにつながります。その重みがずっと心に織のように重なり続け、何かのきっかけでセルフネグレクトに至ってしまうと感じました。

希望がないじゃないか?希望が欲しいという質問がフロアーから出ました。

答えはないのかもしれません。でも、ロスジェネ世代の著者は言います。
特にロスジェネ世代、就職氷河期世代においては、紙一重、たまたま自分はこうなっているだけで、ひきこもり続けていた可能性も大きい。ブラック企業のパワハラは半端ではなかった。それらは、自分のせいではなく時代のせいだととらえていいのではないか、自分を責め続けるスパイラルから少しは解放されるのではないかと書いています。
全くその通りだと思いました。

家族関係は大きく影と重みを残します。子どもの時「聞いてもらえなかった」と多くの人が言います。「生きる」「育つ」「守られる」「参加する」の4つ子どもの基本的人権を今一度心に刻みたい。「参加する」権利は、自分の考えや気持ちを言える権利でもあります。だからつまり、大人は子どもの(他者の)気持ちを十分に聴かなければなりません。それは生きる上であたりまえの権利です。

菅野さんは著書のあとがきでこう記しています。

「取材者としての私は、いわば時代に水平に広がる横軸に身を置いている。その一方縦軸も大切で、それは歴史の時間軸や文学など創造的な視野で今の社会を紐解いていくことなのかもしれない。私のみならず、社会を生きる人に誰にとっても、意味があることだろう。生きづらさの正体は、この社会の成り立ちに本丸が潜んでいるからだ。」

「『生きづらさ時代』は『生きやすさを渇望する時代』でもある。」

この著書は、生きづらさを抱えた菅野さんが様々な人との出会いにより、新たに生き直すことができつつあるそのエッセイでもあります。そこには読者に伝えたい希望があります。

自分の足元をしっかりと見つめ、私自身も自分に向き合い、そして決して希望を失わずに、時代の変化に敏感に、まだまだ勉強不足は否めませんが、やっていきたいと思います。

本年も引き続きどうぞよろしくお願いい申し上げます。

チーフスタッフ 井利由利