4月19日(金)多摩動物公園に行ってきました。メンバーさん20名、スタッフ9名、計29人で行きました。
とにかくよかった!天気はばっちり!初夏みたいでしたけど風が涼しかったです。
広い!人が少ない!木が多い!多くの動物たちが私たちを迎えてくれました。
アフリカ園のライオンたちは皆寝そべっていましたが、チーターはしなやかな体を披露して動き回っていました。
私が心惹かれたのは、このチーターとキリン(たくさんいた‼まじかに)。
ゴールデンターキン(大きくて角と顔が哲学的、鳴き声も響いた)、レッサーパンダ(あんなにかわいいとは新たな発見!すごーく癒された)、ユキヒョウ(もうほんとに立派!おもわずぬいぐるみを買ってしまいました!)・・・・というわけできりがありません…ので、、この辺でやめておきます。
茗荷谷クラブでは、イベントをたくさんやります。
みんなで同じものを見たり、ごはんを食べたり、おしゃべりしたり、普段あまり話さない人とも話したり、ちょっと歩きながら相談してみたりといろいろなことができます。
一緒に遊べて思い出ができると、特に何があったわけではないけれど、お互いの距離が縮まったりなんか話しやすくなることも多いです。
「遊べること」「楽しむこと」は実はなかなか難しかったりします。
私たちは、ふと「こうでなければ」とか「これは正しいのか?」とか「年齢相応なのか?」などと考えてしまうからです。
真に楽しむってどういうことなんだろうか?などと考え始めると楽しむどころではなくなってしまいます。
大人になることは、子どもに戻ったり、大人になったり、また子どもになったりを自由に行き来できることだと言われています。でも、そんなことを意識した時点でもうなんか別の次元に行ってしまいますよね。
だから、なんか自然に周りのことは何も考えずに、動物たちに癒されたり、かわいいなあ、すごいなあとただ感動したりできる機会が私たちには必要なんだと思います。
ニーチェの精神の三様の変化についての語りから引用します。
ニーチェは、精神は人の成長と共に、駱駝(重荷に堪える精神)となり、駱駝が獅子(自由をわがものとし、義務に対してさえ「否」という精神)となり、獅子は、小児になると言います。最終的に私たちは、小児になるのでしょうか。
『小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始動の運動、「然り」という聖なる発語である。そうだ、私の兄弟たちよ。創造という遊戯のためには「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する』
ニーチェ「ツァラトゥストラ」より
きっと階段を登るようにではなく、日々これの繰り返しの中で、私たちは、毎日自分らしくなっていくのだろうな、と思います。
チーフスタッフ 井利由利
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