2022年8月22日月曜日

チーフスタッフコラム 8月

8月7日~9日まで淡路島へ行ってきました。
海と緑がとてもきれいで、太陽の光は肌を刺すくらいに痛かったけれど、“菜音”(淡路島のキャンプ場)で過ごした日は、日常から離れたとても心地の良い時間と空間でした。

予測不可能な体験ができる旅はまさに非日常です。

ちょうど「日常」と「非日常」について少し書かれた坂東充彦さんの著書(『ひきこもりと関わる 日常と非日常のあいだの心理支援』)を読み終わったばかりで、「日常」と「非日常」について考えたことを少し書きたいと思います。

私たちは「日常」の中にずっといるようですが、実はセットのように「非日常」が存在しているそうです。
それは「逃げ場」であり、必要な時にはそこに逃げ込むことができるいつもと違った予測不可能な時空間です。
私たちは幸いにもそうした非日常性をうまく組み込んで生活しています。

「非日常」と「日常」を行ったり来たりすることで、私たちは心の安定や安らぎを得ることができます。
この「日常」と「非日常」をつなぐ、苦労の多い日常生活への接続を果たすには「非日常」の中に“情緒的交流”が、必要だと言います。

それは気心の知れた人との交流であり、安心できる情緒的交流です。

「私たちが生活している世界は日常的な体験と非日常的な体験の往復によって形作られています。日常だけでも非日常だけでも成り立たず、それらを行ったり来たりすることでバランスが保たれている、と理解できます」(by坂東)。

淡路島での大好きな家族や心地の良い人たちとの交流は、まさに私にとって「日常」と接続するための「非日常」でした。

著書には、ひきこもりの回復は、「日常」と「非日常」の歯車がかみ合うように回転を始めることなのではないかと書かれています。

「日常」がなければ「非日常」もありません。
多くのひきこもりの方々が、自分を守るためにひきこもり、物理的にも心理的にも時間を止めざるを得ない生活をしている、その生活には、「日常」も「非日常」もないのでしょう。
そうであるならば、まずは、「非日常」の適切な設定をすることによって、「日常」を取り戻すことができるのではないかと考えます。
「非日常」の適切な設定とは、安心できる情緒的交流があって、でも「日常」とは違い、そして「日常」に接続する時空間です。

坂東氏は「無の時間→非日常に向かうための支援を模索する必要性を主張したいと思います」と述べます。
いきなり「日常」へ向かう(ex.就労へ向かう)のは適切だとは思えないことを、そうした非日常的な場の重要性を「日常」、「非日常」の観点から述べています。

茗荷谷クラブは「非日常」の場です。
そこではどんなことが起こるか予測不可能ですが、多少なりとも安心して情緒的交流ができるこの場を大切に大切にしていきたいと思います。

私自身もクラブでの楽しい時間やたくさんの人たちとの交流の「非日常」があって、心のバランスを保てているのだと改めて思いました。
皆さんに感謝!です!

チーフスタッフ 井利由利

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