いわゆるひきこもり支援では、居場所づくりが推奨されています。
各自治体では、若者を対象とした居場所を作るにあたり、どのような居場所であれば、例えばひきこもっている人や生きづらさを抱えた若者たちが参加してくれるのか?と頭を悩ませています。
もちろん茗荷谷クラブでもどうしたら?何がニーズ?など考え続けてきましたし、今でもずっと考えています。
今回は、「遊ぶ」を、キーワードに考えてみたいと思います。
なぜ「遊ぶ」なのか?
今の社会は「自分」を生きることが困難である、と子どもたちからの相談の中で感じます。
子どもたちが「自分の言葉で話すってどういうことですか?」「クラスの人たちと話しているととても疲れてしまいます」「何を話していいかわからない。相手が何を話して欲しいと望んでいるのか考えてしまうし、自分の言いたいことが言えない」と話すことが多くなっています。
遊んでいないからではないか?「遊ぶ」ことは本能的な「いのちのしくみ」、生の実感とアイデンティティの形成に欠かせないもの、そして主体的な学びの原点(一般社団法人TOKYO PLAY 代表理事嶋村仁志氏の資料(5月17日より)です。
5月17日に子どもの権利条約総合研究所の公開パネルディスカッションに参加しました。
子どもの遊ぶ権利の視点から、どのような居場所が求められるのか?についてのディスカッションが行われました。中でも、認定NPO法人フリースペースたまり場の西野博之氏、認定NPO法人プレイパークせたがやの天野秀昭氏のお話がとても印象的でした。
一つは、公的機関の無償化による意識の変化が起こっていることです。
公営民営型は原則無料であることから、「公的サービス」という意識が、「居場所」という育ち合いの場に、支援・被支援の関係を持ち込んでしまっている現実があります。
居場所のスタッフは不完全さを、できるだけ利用者である子どもたちと補い合いながら、子どもたちの力を信じていくことを大事にしてきました。まさにそれが「遊ぶ」ことなのです。
それなのに、それに立てない大人が増えている、というものです。
民間の若者支援では、スタッフと利用者の支援・被支援の関係では、そこは若者たちの「居場所」にはならないと思い、構造的なところは変えられないとしてもどのようにすれば、支援・被支援の関係性を少しでも薄くしていくことができるのかを意識しながらやってきました。
茗荷谷クラブは、参加メンバーは月額料金を支払って参加します。
自治体の無償化の中で、料金を支払うことの意味について考えてきました。
最も一番の理由はクラブ存続のため、優秀なスタッフに来てもらうためですが。そんなことは彼らには関係のないことですよね。
申し訳ない忸怩たる思いがあります。自らの大切なお金を支払ってクラブに来てくれます。
そのことによって、どのように自分にとって有効にクラブを使うか、クラブに来ている意味付けを、自分自身で、あるいはスタッフと共に真剣に考えていきます。
メンバーさんは公的機関からサービスを受けるだけの人ではありません。
自治体と話をしていると、無償化によって、失敗が許されない、とにかくリスクを避けなければならない、責任を取るのは誰なのか?が常に意識されています。
居場所はトラブルが起こったり、失敗が許される場でなければなりません。
公的無償化は歓迎すべきことです。でも、居場所は失敗する権利、試行錯誤する権利、さまざまな自身の価値観が尊重され、体験によって視野を広げていく権利を育てていかなければなりません。
いかにこの権利が奪われているかの現実に私たちはもっと気づいていく必要があります。
西野氏の言葉を紹介します。
「大人のよかれは子どもの迷惑。合理的、効率的にきれいに安全に、遊び場の中に、システムを持ち込まない」。
子どもの遊び場と若者の居場所も基本的な考え方は同じだと思います。遊んでいない若者が多いと感じます。
春の一泊旅行で河口湖に行ってきました。めちゃめちゃ楽しかったです!
チーフスタッフ 井利由利

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