1月8日、社会的孤独孤立(ひきこもり等)に関する合同相談&講演会に行ってきました。
新年早々、「孤独・孤立」について書くのはどうかと思ったのですが、「孤独死」についてとても考えさせられたので、書いておこうと思います。
3人の方がお話しをしてくださったのですが、その内のおひとりである菅野久美子さんのお話しをお伝えします。
菅野さんはノンフィクション作家であり、孤独死の現場で今起きていることを多くの現場取材を通してお話ししてくれました。
孤独死3万人。いわゆる事故物件の9割は孤独死だそうです。菅野さんの著書を早速読ませていただきました。
孤独死はセルフネグレクト、すなわち緩やかな自死だと話しました。多くはゴミ屋敷となっています。物を捨てられないのはなぜか?なぜ彼らはゴミに埋もれて、亡くなっていったのだろうか?
ご自身がいじめやひきこもり、母親の虐待と思われる家庭環境で育ったことから、菅野さんは、著書「生きづらさ時代」(双葉社 2023)の中で、
「ただ自らの重みによってその場にうずくまるしかない人たちがいる」
「私は思う。自ら回復することすら困難なほど傷つき、地面に崩れ落ちてしまったたくさんの人々のことを。要塞を築くしかなかった無数の「彼ら」のことを」と書いています。
「心の空虚は決して目に見えない―でも、それはモノという形で、確かに部屋のいたるところに転がっていたように感じる」。
「捨てる」ことがその人のアイデンティティを失わせることになる。例えば、その方が、昔生け花の先生だった。また、生け花を飾れるお部屋にしませんか?と問いかける、そんな関わりをしているNPOもあると述べました。
子どものころの経験、過去の経験が生きづらさにつながります。その重みがずっと心に織のように重なり続け、何かのきっかけでセルフネグレクトに至ってしまうと感じました。
希望がないじゃないか?希望が欲しいという質問がフロアーから出ました。
答えはないのかもしれません。でも、ロスジェネ世代の著者は言います。
特にロスジェネ世代、就職氷河期世代においては、紙一重、たまたま自分はこうなっているだけで、ひきこもり続けていた可能性も大きい。ブラック企業のパワハラは半端ではなかった。それらは、自分のせいではなく時代のせいだととらえていいのではないか、自分を責め続けるスパイラルから少しは解放されるのではないかと書いています。
全くその通りだと思いました。
家族関係は大きく影と重みを残します。子どもの時「聞いてもらえなかった」と多くの人が言います。「生きる」「育つ」「守られる」「参加する」の4つ子どもの基本的人権を今一度心に刻みたい。「参加する」権利は、自分の考えや気持ちを言える権利でもあります。だからつまり、大人は子どもの(他者の)気持ちを十分に聴かなければなりません。それは生きる上であたりまえの権利です。
菅野さんは著書のあとがきでこう記しています。
「取材者としての私は、いわば時代に水平に広がる横軸に身を置いている。その一方縦軸も大切で、それは歴史の時間軸や文学など創造的な視野で今の社会を紐解いていくことなのかもしれない。私のみならず、社会を生きる人に誰にとっても、意味があることだろう。生きづらさの正体は、この社会の成り立ちに本丸が潜んでいるからだ。」
「『生きづらさ時代』は『生きやすさを渇望する時代』でもある。」
この著書は、生きづらさを抱えた菅野さんが様々な人との出会いにより、新たに生き直すことができつつあるそのエッセイでもあります。そこには読者に伝えたい希望があります。
自分の足元をしっかりと見つめ、私自身も自分に向き合い、そして決して希望を失わずに、時代の変化に敏感に、まだまだ勉強不足は否めませんが、やっていきたいと思います。
本年も引き続きどうぞよろしくお願いい申し上げます。
チーフスタッフ 井利由利