今回は、カウンセリングについて書こうと思います。
カウンセリングに行ったけど何の役にも立たなかった。ただ聴いているだけで、行った意味がよくわからないまま帰ってきた・・・。などの声を聞くことがあります。
民間のカウンセリングは結構高いし、何をするところかよくわからないので、行きにくい…というのは実際のところあるのではないでしょうか。
カウンセラーとしては、襟を正さないといけないと強く思います。
カウンセリングで何をしているのか?があまり伝わっていないのではないかと思います。
その原因としては、カウンセリングは、来談する方との共同作業であるので、その人その人によって違っていて守秘義務があり、一概には言いにくいというのがあるのかもしれません。
とはいえ、わかりやすく説明することは私たちの責務です。
人はその人らしく育ち、植物が育つようにおのずと世界で唯一のその人の花を咲かせ続けます。それがうまくいかなかったり、途中で歪んでしまったりするのはなぜなのでしょうか?
生活環境、心の苦しみ、様々な要因が毛糸の糸のように絡まりあって、大きな絡まった毛糸玉になっています。
一体どこの糸を引っ張ればうまくほどけるのだろうか?引っ張り出す糸を一緒に発見していき、少しずつほどいていくことになります(坂野雄二先生の講演より)。
環境に働きかける、すなわち家族調整、病院への紹介、学校や職場の環境調整を行います。
心の苦しみの多くは自己否定感にあります。自分を否定する気持ちと罪悪感、自責感です。自己否定感の反対、つまり自己肯定感はどうすれば高まるのでしょうか?
一つは自己受容。すなわちありのままの自分、そのままの自分でもOKな感覚です。自己受容がある程度できた上で自己肯定感は高まります。
まあ何とかなる、まあこんなもんだけど、悪くはないよね、まあいいっかと自分で自分のことを思えることが自己肯定感につながります。
もう一つは、自分を客観的に見ることです。言語化という理性的な操作を行うことで、感情の渦に巻き込まれない客観的な視点を取り戻そうとする過程です。
ある程度の距離を持って自分を俯瞰し、現実とバランスの良い折り合いをつけようとするものです。
どちらもカウンセリングが目指しているものです。ただ、目的に向かって主導するのではないので、目的とも言いにくいところがあります。あくまでも対話を通した共同作業です。
基本は語ることと、傾聴です。そこには基本的な姿勢を基盤とした様々な技法もあります。
誰かに語り、それをそのまま関心を持って真摯に聴いてもらう、何よりも「共感」してもらう―自分が感じていることを受け止めてもらえた感覚や、理解しようと関心を持ってもらえた感覚が、自己受容につながり、いつのまにか心の苦しみが軽減されていきます。
ただ心の折が深ければ深いほど、回を重ねる必要が出てきます。
極端な考えも、納まってきて気が済む感覚になります。極端な考えによる事件になる前に客観的冷静になることができる可能性だってあります。
言葉にしてみることによって、自分を縛る気持ちの正体がわかるとそれに支配される力が弱まると言います。
つらい作業でもあります。特に外の世界の理不尽さが本人に大きく覆いかぶさっている事態は、本人の心の問題ではありません。それでも自分に向き合わなければならいつらさがあります。
・・・うまく説明できているのか、心もとないです。
でも、多くの方にカウンセリングを受けてほしいと思います。
料金が高い、時間がかかる、カウンセラーとの相性などまだまだ課題は多いですが。
そしてもちろん、カウンセラー側の力量を上げることが最も大きな私にとっての課題です。
(参考文献:「マインド・コントロール」岡田尊司著より)
茗荷谷クラブチーフスタッフ 井利由利
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