『自分の感情や内面には「他人」が折りたたまれて入っているから、どんな人でも周囲の人とともにしか、変わることはできない。
ゆっくりと遠回りでいいから、参加している誰もが尊厳を否定されない、そこにいるだけで前よりも楽になれるような関係性を対話を通じて作っていこう。』
―「心を病んだらいけないの?うつ病社会の処方箋」 斎藤環・与那覇潤著 2020より引用―
この頃『居場所』について例えば、『「茗荷谷クラブ」と地域の「居場所」はどう違うのか?違わないのか?』などを問われ、「居場所」の大切さや、「茗荷谷クラブって?」という事について再び考えたので、それを記してみようと思います。
再考している中、先に引用した著書の言葉を見つけいたく感動し、紹介しました。
地域には、高齢者の居場所、認知症のお年寄りの介護者の居場所、子育てママの集まれる居場所、子ども食堂、放課後クラブ、就労のためのB型の居場所とか上げればきりがないほど、本当に多くの様々な居場所があります。
どのような居場所にも通底する「居場所」のあり様の大前提が、まさにこの文章にあると思いました。
どういう場所を「居場所」と感じるかは人それぞれで、地域に多くのいろいろな形の居場所があること、多様であることが最も大事だと思います。
地域で取り組まなければならない課題であり、私たちも区内の地域コーディネーターさんと連携しながら、お手伝いしていきます。
昨年12月に行ったプログラムで「茗荷谷クラブって何?」をメンバーの方々が表してくださいました。
そのプログラムで茗荷谷クラブは「精神安定剤」「空母」「窓」「失敗や成功の概念のないところ」「多様性」などの言葉をいただきました。
安心安全で基地になり、そこで自由に過ごし、表現ができる場所と思ってくれているのだなと嬉しく思いました。
と同時に「こういう場所であって欲しい」というメンバーさんの望みなのだろうなと身が引き締まる想いでした。
私の好きな小説にサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」があります。
私の勝手な連想ですが、広い広い金色に輝く高台にあるライ麦畑で、空はどこまでも蒼く、高く、広がっています。
そんな場所で様々な若者たちが自由にのびのびと好きなように遊んでいます。
ライ麦畑は、自由で何の制約も強制もこうでなければならない目的もありません。
でも何かの拍子にライ麦畑の高台から落ちそうになる人もいます。
そんな人たちを一人も取りこぼさずに手を伸ばし、つかまえる。
その役割がスタッフにはあり、そこにある程度の心の専門家としての専門性が必要になるのかなと思います。
私は、茗荷谷クラブの「居場所」に、そんなイメージを持っています。
コロナ禍でいろいろな制約がある中…広々としたライ麦畑に行って、みんなで思いっきり遊びたいですね!
茗荷谷クラブチーフスタッフ 井利由利
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