2020年8月4日火曜日

チーフスタッフのコラム【2020年8月4日号】

新型コロナウィルスの感染拡大と、なかなか収まらないであろうこの状態の中、この世界と既存の価値観は、変わっていくのだろうか?変わっていかなければならないのではと、今ひしひしと感じています。


「24時間戦えますか~ビジネスマン、ビジネスマン♪ジャパニーズビジネスマン♪♪」というCMソングが流行ったのは、1989年。


働けば働くほど成果が上がった時代で、モーレツ社員を鼓舞したものでした。


成果を上げる、効率を上げることが最上なそんな時代真っ盛りを若いころに過ごした一人として、あれはいったい何だったのだ!?


でも、何の疑問も持たなかったし(若かったということか??)まさにイケイケで。。。そうこうするうちに、90年代に入りバブルがはじけて高度成長期は終焉を迎えることになりました。


今後、社会はどう変化していくのか。自分自身はどう主体的に生きていけばいいのかを考えなければと思いますが、なかなか答えは出ません。


我が家の子どもたちが学校へ行き、一母親として、学校は、画一的で、集団の中で個々が認められていないように感じ、不登校の子供たちが出てきて、


なんか変だ?何かがおかしい・・とそれまであまり考えてこなかった私が(自分の内面については始終悩み考えていましたが)、やっと疑問を抱いたのが90年代前半。そのころ茗荷谷クラブと出会いました。


不登校やひきこもっていた人たちと会って、この人たちが入っていけない社会っていったい何なんだろう?おかしいじゃないか!」と強く思いながらも、時はそのまま流れ、


自身の無力感を感じ、それでも、2013年からスクールカウンセラーをした2年間、学校は当時とは、ずいぶん変わったとこの目で確かめることができました。


私たちの作ってきた社会も、ほんの少しずつではありますが、変わってきているし、そのことに敏感に、そして、自分の価値観をきちんと問い直し、考えて、行動し、積極的に社会に関与していかなければならないと思います。


藤原辰史氏が、いみじくもこう言いました。「文明国家の基準は、弱者に対する態度である」私たちは、これまでどこに目をつぶってきたのかがわかってきたのではないか。


私たちの生活の営みは、リモートワークのできない人がいないと成り立たない。


そういう方たちが感染のリスクを抱えながら、働いている。


私たちの生活が深いところから問い直されていると。


もう一つ、コロナ禍について、なるほどと思った記事を紹介します。


斎藤環氏が、毎日新聞(8月1日)に寄せた文の中にこんな言葉がありました。長いですが、引用します。


「福祉の考え方に「Dignity of risk(リスクを負う尊厳)」という発想がある。あるいは「Right to fail(失敗する権利)」ともいわれる。


障害のある人に対して周りは保護的に接しようとする。


当事者が何かしたいと思っても「それは危ないからやめましょう」「それをやってしまうとあなたたちが死ぬかもしれないからやめなさい」と止める。


その行動が実は、障害者の権利を損なっているという考え方だ。


障害があっても主体的に生きる権利は、健常者と同等に持っている。


この発想を普遍化すれば、我々は誰しもリスクを負う尊厳を持っているといえるだろう。


(中略)行き過ぎたコロナピューリタニズムは、社会のあり様を貧しくする。


不潔の回避や健康重視という発想が行き過ぎ、健康イコール正義であり、不健康はことごとく悪だというような貧しい規範が生まれつつあるように思う。


そうならないためには、ゼロリスク社会ではなく、むしろリスクを負う尊厳を大切にする社会のあり様を、感染防止対策と並行して考えていく必要がある。


声高には主張しにくいが、それがないと痩せた文化、痩せた社会になってしまいそうな懸念が大いにある」。


私たちは思考停止に陥ってはならない・・と切に思います。


茗荷谷クラブチーフスタッフ 井利由利

0 件のコメント:

コメントを投稿