先日、臨床心理学講座でオンラインで研修を行いました。
いつもなら研修に参加してくださっている人の顔を見ながら、その反応を見ながら、お話しをすることができるのですが、オンラインだと相手の顔も反応もわかりません。
今までうなずいてくれる人がいて、少し勇気をもらってお話しができたのだと改めて思いました。
この話で大丈夫なのだろうかという不安を表に出さないようにと勝手に頑張ってしまうところがありました。
本当は参加者の方たちとやり取りしたかったです。
「見えない」という意味では、ご相談においても、親御さんの話からしかご本人のことを知るしかない場合が多々あります。
ご本人は来てうなずいてはくれないので、親御さんの目にうつるご本人の行動の意味を理解しようとします。
例えば「ゲームばかりして…」という行動の奥に、考えることに疲れてしまって、苦しくて、本当は楽しくてやっているのではないけれどどうにか時間をつぶしてその日を乗り切っているのではないか・・・と、思います。
多くの当事者の方が直接私に話してくれたこと・・・そこから推測します。
そして、親御さんと右往左往しながらやり取りをし、親御さんが「ああ、そういうことなんだ」と納得できるかどうかが肝心です。
そこには少なくとも私と親御さんとの双方のコミュニケーションがあります。オンラインのように一方的ではありません。
「肝心なことは目には見えない」星の王子さまに狐は言いました。
「心で見ないと物事はよく見えない」のだと。
「問題」は自分が「問題」と思うから「問題」になるのではないか?
「問題」の奥にあるなぜ?そのような行動をとるのかは、双方向でコミュニケーションし、見ようとしなければ見えません。
私たちの日常が、聞こえない声はないものとし、見えないものも見ようともせず、そこに心を通わせることなく時間に追われてやり過ごしてしまいがちになることにもっと自覚的でありたいと思いました。
「まるで大人のような口のきき方だね」
星の王子さまは、“僕”が飛行機の厄介なボルトのことでイライラして、忙しくてよく考えもせずに話した時に言いました。
この言葉を聞くとちょっとドキッとします。自分がそうなのではないかと。
時間をかけることの大切さ、時間に追われるとコミュニケーションができなくなってしまうことへの危惧を教えてくれます。
さて、仲良しになるにはどうしたいいのか?と星の王子さまが聞いたとき、狐は言いました。
「辛抱強くすることだよ」「最初はおれから少し離れてそこの草の上に座る。おれはあんたを目の隅でみる。あんたは何もしゃべってはいけない。言葉というものが誤解のもとだ。1日ごとにあんたはだんだん近づいてきて座れるようになる」と。
言葉よりも、ゆっくりと流れる長い時間を共有すること、一緒にいることの大切さを教えてくれます。
忙しく、ゆとりがなくてあれしなければ、これしなければと思っていると、心でみることができなくなります。
私たちがいかに自分のゆとりを取り戻すかが、大切だと思いました。
そして、コロナの中、顔を合わせて対話できる日が早く来ることを願ってやみません。
(参考:新訳 星の王子さま 倉橋由美子訳)
茗荷谷クラブチーフスタッフ 井利由利