先日のほっとスペースのプログラムは「つい○○してしまう自分」を取りあげて、いつもと違う形で自分を眺めてみよう!というものでした。
私たちは、ついつい甘いものを大量に食べてしまうとか、ついつい反省しすぎてしまう自分とか、やりたくないことや、やらないほうがいいのにと思われることをついついやってしまう癖みたいなものがあったりします。
自分の行動や振る舞い、考え方の「ついつい○○してしまう!」について、それぞれワークシートに書き、それをみんなで話し合いました。
そして、メインは画用紙にそれを描いてキャラクター化しよう!です。
自分の「ついつい○○」に名前を付けて、距離を置いて視覚化し、眺めてみました。
自分の気持ちを取り出して、距離を置いて眺めると、少し楽になる気がします。
以前、気持ちや感情なんかなくて自分はロボットになりたいと言った方がいました。確かに感情って厄介だなと思うことは少なくありません。
自分の感情に圧倒させられたり、相手の感情を気にするあまり、考え込み、頭の中がいろいろなものでいっぱいになると、浮かんでくる考えと現実の区別がつかなくなります。
これをフュージョンと言います。フュージョンから解放されるためにはどうすればいいのでしょう?
まず自分が、過去や他者の気持ちなど自分の意思ではどうにもできないことをどうにかしようとしている、ということに気づくこと。
そして受け入れる「素直に、感情はそのままに。悲しみや怒りも」。できないことはしない、できることをする「眠れないなら、眠らなくていい。横になっているだけで体は休まる」。
プログラムでやったように、自分の頭の中から取り出して、絵にかいてみると、それがしやすくなります。
もう一つ、『僕は、イエローでホワイトでちょっとブルー』(プレイディみかこ著)の、英国のシティズンシップ・エデュケーション授業のお話を紹介します。
この授業は、エンパシーとシンパシーを学ぶ授業です。エンパシーとは何か?「自分で誰かの靴をはいてみること」(他人の立場に立ってみるの英語の定型表現)。
つまり「自分がその人の立場だったらどうだろう想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」。
シンパシーは、かわいそうな立場の人や、問題を抱えた人、自分と似たような意見をもっている人々に対して、人間が抱く感情のことだから、自分で努力しなくても、自然に出てくる。
だがエンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているんだろうと想像する力のことだ。
シンパシーは感情的状態。エンパシーは、知的作業と言えるかもしれない」と記しています。
なるほど。このような教育がなされれば、いじめの問題はかなり軽減されるのではないかと思います。
エンパシーと自分の感情と距離をとることは、一見矛盾しているように思われるかもしれませんが、実は同じことです。
自分の感情に巻き込まれることなく、知的作業であるエンパシーの能力を培いたいです。
茗荷谷クラブチーフスタッフ 井利由利