4月は閉室、5月はオンライン居場所を実施しました。
オンライン居場所には、毎回、4名から9名のメンバーの方が参加してくださり、スタッフを入れると、8名から多いときは15名が集まりました。
みんなどうしているかなあ?と思っていたので、とにもかくにも、皆さんの顔が見られて、声が聞けて、ちょっと安心。
とても嬉しかったです。
Zoom は、私にとっては、初めての経験で、どうなることかと思っていましたが、スタッフがとても頑張ってくれて、開催することができました。
Zoomブログを読んでくださるとわかりますが、ホワイトボードを使った絵しりとりや、ブレイクアウトルームに分かれて少人数で話をしたり、アンゲームや、チャットや、オンライン人狼もやってみました。
ただ、みんなの顔を真正面から見なければならず、自分の話している顔を見なければならない、どこを見ていいのかわからないところもあり、ちょっときついなと思うところもあります。
リアルな居場所では、居ても雲隠れするように居ることもできるし、誰かに見られている感じもそれほどなく自由に過ごせるのですが、なんだがそうもいかず・・・とオンラインの良さもあり、限界もあると感じました。
おそらく会議をするには、効率もよく、発言にも集中できることから向いているのかもしれません。
また、学校の授業は、その子の個性に合わせて、同じ場所、同じ空間で一斉に学ばなくてもよいとなれば、もっと生き生きと学べる子どもたちはたくさんいるのではないかと思います。
改めて、リアルな居場所の意味を考えるきっかけにもなりました。
人とつながる、人と交流する、人と対話することが大切であるという前提が前提でなくなっている事態に、私たちは改めて、リアルな居場所の意義を考えなくてはなりません。
オンライン居場所は、リアルな対面には、やはり及ばないと思います。
それは、身体性が失われること、その人の持つ空気感、雰囲気、言葉と言葉の余白に込められる非言語的なメッセージが伝わりにくいからです。
特に雑談の良さ、対話の良さが失われがちです。
普段のクラブの中では、なんとなくだらだら話しながら、聞き手と話し手が自然に入れ替わり・・・、そして話題がポンポンと飛ぶ。話がズレたりすることもありますが、そこには、討論でも、結論ありきの説得でもない、雑談の良さがあります。
「討論」と「おしゃべり」について、森敦は次のように述べています。
「討論というのは、自分の手持ちの知識や意見のカードを出し合うゲームにすぎぬ。
そこでは知恵を消費する。「おしゃべり」は、最初から意見が決まっているわけではない。
普段言わぬことを、相手次第でぽろっと言ってしまう。
そのことで、自分の意見にはこんなこともあったのかと初めて自覚する。
そこでは知識を得るだけでなく、あとで調べる気になったりする。
相手の言葉がヒントになって、自分の意見が作られることもある。つまり、知恵を生産する」。
雑談やおしゃべりは、みんながその場所に身をゆだねることによって成り立ち、そして自分自身を全体で受け止められたという感覚を持つことができます。
そんな居場所の大切さを改めて想い、かつオンラインの広がりも大切にしつつ、それぞれの良さをその場に即して考えていきたいと思います。
茗荷谷クラブチーフスタッフ 井利由利
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