某区の教育委員会で、小学校のいじめ問題に関わっていますが、難しい案件が多く、悩んで、なんだかむなしくて、つらくなることが多いです。
私は、小学校の現場にいるわけではないので、勝手なことは言いたくないし、現場には現場の大変さがあり、全く学校の先生方の忙しさは、ほんとに半端ない!…と思います。
でもそれを承知で誤解を恐れず、架空のお話しをもとに、自分の頭も整理するつもりで書いてみようと思います。
発達障害等、何等かの障害を持っている子どもとの関わりにおいていじめ問題が発生することがあります。
被害者が、加害者によって、つらい思いをしていることは否めず、現行の法律では、本人が傷ついているのであれば、それはいじめと認定されます。
被害者は「暴言を言われて怖くて教室に入れなくなった」と言います。
教室を飛び出してしまう子、保健室に始終行かなければやっていけない子どもも多くいます。特別支援教室に通いますが、そうはいってもほとんどの時間は同じ教室で授業を受けなければなりません。
加害者と言われた子どもはそうやって授業に出ない子は「ずるい」「ちゃんと教えてあげなくちゃいけない」と言います。
確かに自分が教室を出ようものなら、先生に怒られる。でもその子に対しては、先生は怒らないし、自分が「教室来いよ!何やってんの」などと言えば自分が先生に怒られる。「なぜ自分たちばっか怒られるの?」と疑問が解けないのです。
もう30年くらい前に、小学校1年生の時、娘が同級生だったダウン症の女の子のことを「とても怖いって思ってた」と最近、話をしてくれました。
思えば、当時、ダウン症が何なのかも誰も教えてくれず、娘にとっては理解できないその子の行動が怖くて、でもどうしていいかわからず我慢して、母である私も、そんなことには気づかずに、でもなるべくうちの子に近寄らないでくれたらいいなあくらいに思っていた記憶があります(申し訳ない!)。
もしかして、30年前と今は全然変わっていないのかもしれません。
もちろん、先生方は、何とか理解させようとしています。
でも、障害の理解を小学校の子どもたちに教えることはとても難しいです。
そのノウハウもありません。でも知らなければ、どうにもしょうがないです。
その加害の子は中学生になった時に、言いました。
「でも、今思えば、自分が構うことじゃなかった。そんなのほっとけばよかった。今だったらほっておけると思う。自分もストレスが溜まっていたのかもしれない」と。
子どもたちは成長します。でも傷ついた心を癒すのは容易ではありません。
クラスにいたいじめの傍観者も傷を負います。第三者委員として介入する大人は、双方の傷つきを十分に理解することが求められます。
まずは知ること、知識は重要です。
でも、特に目に見えない障害については、誰にも知られたくないとする親や本人もいます。
当事者も変わっていかなければならないでしょう。でも当事者が変われないのは、周りのスティグマがあるからだ!…と堂々巡りの悪循環です。
一人一人の話を聴いて丁寧に対応すること、そして、いわゆる障害、特に精神や発達の障害についての知識と教育が必要だと思います。
その前提やスキルや制度が確立していない中で、傷ついていく子がたくさんいると思えてしかたありません。
茗荷谷クラブのメンバーさんたちがそれぞれどのような学校時代を送ってきたか…とよく想いを馳せます。ほんとに微力ですが、今、やれることをやるしかないです。
チーフスタッフ 井利由利